菊慈童(重陽の節句)

展示中

所属

無所属

経歴

2001 専門学校卒業(デザイン科)

2014 日本画を始める

作品の注目ポイント

重陽の節句様に制作いたしました。 秋の山の風景(菊慈童が生活している気配)と 秋と慈童の少し物悲しさを表現してみました。※ 菊慈童とは 周の穆王の時代、慈童と言う少年がおりました。穆王の寵愛を受けていましたがある時、穆王が居ない時に誤って穆王の枕の上を越えてしまい流刑となりました。流刑となる縣山は、山深く、鳥も鳴かず、雲暗く、獣の住む所で、仮にもこの山へ入って生きて帰る人はないと言う所です。穆王は慈童を哀れみ普門品というお経にある二句の「具一切功徳慈眼視衆生、福聚海無量是故応頂禮」を密かに慈童へ授け、毎朝に十方を一礼して、この文を唱えるように言いました。慈童は、忘れないように側の菊の下葉に書きつけました。それよりこの菊の下葉の露が僅かに谷の水に滴り、天の霊薬となり慈童はこれを飲み八百余年後、慈童はなお少年姿のまま長い年月を生き永らえました。時代が流れ魏の文帝の時、彭祖と名を替え、この術を文帝に授けました。文帝はこれを受け菊花の盃を伝え、万年の寿をされたのが重陽の節句の基となりました。

アーティストになった理由

元々絵が好きではあったのですが美術専門を卒業したときはアーティストという考えはなく兎に角就職しなければと考えていました。しかしテレビ局で頑張りながらここで止まりたくないと思っていました。絵で何かを表現したいと思っていました。もともと美術専門学校に行く予定ではなかったので、もしかしたら美術に導かれていることも少しあるかもしれません。そうであったらいいと言う願望も含むのかもしれませんが、何より美術が好きと言う事は紛れもなく本当です。

メッセージ

日本人として日本の長野と言う田舎に育ち外国に行ったこともなく昔の日本の物に多く触れてきました。

仕事仕事で病み気味で休みの日に道の駅に行った時わたしの気分が悪いので晴れてよ!と思っても晴れてはくれません。

その時なんて自然はこの上厳しくこの上優しいのかと気付きました。

自然信仰とはこうゆうものじゃ無いかと思いました。

自然は黙って居ますが偉大です。

何時もは優しく沢山の恵みを私達に与えます、ですが何かのきっかけで牙を剥き赤子の手を捻るように簡単に私達を飲み込んでしまいます。

災害は私達に大きな痛手を与えましたが恨む事は何故か出来ません。

何故なら何時もは優しく私達を癒やしくれたからです。

人間のエゴが自然を変えて居ます。

またその行動は人間にも悪影響を与えて居ます。

身体だけでなく心にも影響を与え大量の無駄な生産デジタル社会の心の闇。

誰が悪いのかでは無く地球上の皆んなの責任です。

ですが良い面も持ち合わせてデジタルや大量生産による経済で救われる事もあります。

矛盾によってこの世は成り立っているのでしょうか。

小さなものが大きなものを生み大きなものが小さなものに吸収されるまるで生物の循環のように世界は不思議と神秘で溢れて居ます。

この戦争の無い日本から不思議な世界を懸命に生きていく日本人と言うアイデェンティティを持ちながら世界に話しかけています。

世界に今必要なのは人間としての責任感では無いでしょうか?

貴方はどんな責任を持って生きて居ますか?

わたしの絵をきっかけに自分を振り返ってみるのも良いのではないでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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