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所属

Digital  Graphic Art

経歴

東京都内在住のカメラマン。職歴35年。1996年からデジタルフォト作成・映像製作。国内、海外、雑誌グラビア掲載、カレンダー制作など多数。2016年2月バリ16区のロンシャン通りアートギャラリー 「リンダファレル」で中山康雄 作品展示会<GEISHA 日本の美>開催。

作品の注目ポイント

標的を狙うヒットウーマン 詳しくはhttp://photozou.jp/photo/show/1942150/207204227 でご覧いただけます

アーティストになった理由

​◯僕が写真を撮り始めたきっかけは
 小学3年生の頃、たまたま行ったデパートで母親が、子供向けのオモチャのカメラを買ってくれました。今、思えば露出計や距離計もない、お天気マークで晴れ か曇りを選び、距離は人を形どったアイコンか山を表したアイコンを選んで、目盛りをセットし、シャッターはレンズのワキに付けられたボタン型のバネを引き 下げて、準備しシャッターボタンを押すだけ。フィルムはモノクロで、裏側に感光を防ぐ黒い紙が付いた、いわゆるブローニースタイルの小さなロールフィルム (焼き付けしたサイズで名刺版でした。)を使うカメラでしたね。当時、小学校では、年に二回くらい、遠足と呼ばれるハイキングがあり、この時に買っても らったカメラを持って行ったのを覚えています。これが、僕にとっては初めての撮影経験であったわけです。しかし、この時、一生懸命に撮影した写真はほとん ど写っていませんでした。これは、ハリキッて撮影した僕にとっては、とてもショックな事でした。子供向けのオモチャのカメラをキチンと撮影出来るように管 理して売る…昭和35年頃、この時代には、こんな事も日本では出来ていない。カメラやフィルムの保管、管理方法も、売っている店の人間が知らない。今では 考えられないような事が、まだ平気で横行している時代だったのですね。あの悔しさは、今でも忘れられません。
そんなトラブルの後に、僕が出会ったカメラは、当時、僕の家に勤めていた若い職人(僕の家は木工を仕事にしてました。材木を加工して、家屋用のドアや雨戸 などを作る仕事です。その仕事の技術を覚える為に、ウチには何人か、父親の弟子として勤めている職人さんがいました。)さんが見せてくれた二眼レフ(ロー ライフレックス型)でした。このカメラを使って、撮られたプリント(手札サイズ)を見た時の驚きは、今もハッキリ覚えています。「ちゃんとしたカメラを 使って撮影したら、こんなに鮮明な写真が撮れるんだ!僕も、キチンとしたカメラが欲しい。」
それから、時が流れ、中学生時代にはブローニーフィルムを使う富士フィルム製の小型カメラを、高校生になってからはオリンパスペンFという35ミリの半分のサイズを撮影出来る一眼レフを持っていましたね。
今、思えば、まだまだ稚拙なカメラでしたけど、同様の趣味を持つ友人と毎週、日曜日などに、近隣の町や港を撮影に出かけていました。
この後、高校を卒業した僕は、カメラマンとして、仕事をすることを目的に上京したのです。この時代、まずカメラマンとして、身につけるべき技術は、被写体 をキチンと撮影出来るということでした。撮影する際に一般的にはモノクロ撮影用のフィルムを使い、撮影後はフィルムの現像から、モノクロのプリントまでを 自分で仕上げられる事が、基本的な条件でした。この時代に弟子として、ともかく厳しい徒弟制度に耐えて教えられ、骨身に染み込んだ技術と知識が、写真技術 がデジタル全盛となった今も、変わらず自分の写真表現の基本、財産になっていると思っています。

メッセージ

僕 が作品を創る際に、常に心がけているコンセプトは《矛盾》と《カオス》です。見た目では、落ち着いた静かな光景に見えながら、そこには絶え間なく、普遍的 な矛盾と混沌が渦巻いている不条理な空間…デジタル技術の進歩によって、今迄は表現出来なかった《心理的な描写》が可能となったのです。
写真を超えたデジタル画像を制作しています。