作品制作にあたっての思い
大阪で展示をしたときに、
「あははは~!君バカだねー!最高!」
と言われました。
これは私にとって、うれしい誉め言葉でした。
私の絵を見て、楽しい気持ちになる
面白い、などは時々言ってもらえる言葉で
これももちろん嬉しいのですが、
「バカだね!最高!」は通常ならさげすむ言葉として使われる「バカ」を初対面の人には普通言いませんが、
その垣根を私の絵を通すことによって、取り払われたと思うからです。
私自身が絵やアートに触れるとき「ああ~、いいなぁ~」と心に染み入り、心が食べるご飯と感じます。
人間はただ生きているだけ以外の栄養があると思う瞬間でもあります。
私の絵を見て、笑いがこぼれたり、私ももっと自由でいいんだ、とかフッと気を緩めてもらえるようなものを感じてもらえたら嬉しいと思って日々制作しています。
地震や災害がきたとき、世界はどうしても暗い方向にいってしまいます。
自粛や制限などがうまれギスギスしていく、、、。
みんな頑張っているのに、私だけこんなことやってていいんだろうか?
と楽しく絵を描いている自分に自問自答したことがあります。
そんなとき、凝り固まった心に、道端の花が美しく凛と咲いている姿が飛び込んできて、
心が溶けていくのが手に取るようにわかった経験があります。
花は世界が暗くとも枯れないし、私は咲いていていいんだろうか?などと考えず、美しく咲き続きける。
そして、それに癒される人々もいる。
ルノワールが戦争で世界が暗かったとき、絵ぐらいは美しくありたいという思いで描いていたということを知り、
強く共感しました。
世界をつくる意識は自分の中にあり、どの世界を見るかは自分の自由選択である。
「きれいごと」とすまされそうな考えに聞こえるかもしれませんが、
美しい世界を見続けることは修行のようだと思えるのです。
目をそらすとは違う、嘆き悲しみの世界に居続けることをやめ、
自分の見る世界を作っていくという修行も
絵と向き合うことにより、忘れないでいることができます。
そして、そんな世界を共有できることは喜びです。
そう思いながら、絵としてその世界を三次元に物質化させる日々です。