昔の各国での滞在を思い出しながら、「各国の壁画と彫像の文化について」書いてみました。
① パルミラはシリア砂漠の中央にあり、地中海とメソポタミアを結ぶ交易路として、紀元1世紀から3世紀にかけて栄えました。パルミラ彫刻は宗教や神話性は少なく、商人の功績を残す意味だったのか精緻な貴人や商人像、女性像は頭部にターバンやヘッドバンドやベールで髪が綺麗に装飾されており目鼻立ちが冴えている精緻な人物像でした。彫像よりも壁面の浮彫が目につきました。これは造りやすく破壊されにくいのではと思いました。石造りの葬祭像や墓石彫は故人の姿の浮彫像が特徴的で、このような神でなく個人の生前の彫刻は古代では稀ではないでしょうか。パルミラといえば、日本では平山画家のラクダのキャラバンの絵画が有名です。しかし、ここでは動物の彫刻は少ないそうで、動物彫像はどういうわけか人物に比べて似てもいませんでした。
シリアは歴史的に人物彫像が多く、紀元前25世紀のエビフイル像や紀元前10世紀までのアッシリアでの人物彫像の発掘などもあります。日本でのこのような人物像の最初は明治26年の大村益次郎像で、銅像でも明治13年の武尊像らしく、明治以前の偉人や武将の人物像は明治以降のもので全て想像のものと言えます。そのためパルミラの写真のような精緻な生前像は非常に貴重な壁画の浮彫像だと思います。ただし2015年にイスラム国(IS)の侵入で、現地の壁画や彫像は多くが破壊されたそうです。[滞在2001年]
② ガンダーラ美術は、パキスタン西北部のガンダーラ地方に0~5世紀にかけて栄えた仏教美術です。仏像には西洋系の顔立ちのギリシャ彫刻の影響を受けており、ここしかない仏教彫刻の起源とされます。特に、緻密な石材彫刻はギリシャ神話から伝わった彫像が多く、美しいガンダーラ浮彫はギリシャ神話のように中心に神と周りを取り巻く僕(しもべ)の描写が似ています。ここで作られる美しい浮彫により、ガンダーラは理想郷とみなされました。作られた仏像がアジアに伝来される一大仏像生産地になっていたのではと思われます。当時珍しい仏像が広まると伴に、仏教も中国や日本、東南アジアに広まり易かったのではないでしょうか。なぜなら、ゴダイゴのヒット曲の「ガンダーラ」にあるように、当時日本からは遠く過去の文明であり、伝来した珍しい仏像から理想郷の天国ユートピアになっていたのではと思われます。[滞在1994、1995年]
③ アフガニスタンはアジアの貿易交易の十字路と言われ、1~4世紀に栄えたクシャーナ朝は東西の多彩な文化が融合した芸術で栄えました。彫刻は木工や石材をはじめ、金や鉱石、ガラスなどを素材に、多くの人種の人物彫像やギリシャ神話の神や仏陀や菩薩などが刻まれました。10世紀にトルコ系ガズナ朝によりイスラム文化に変わり、仏像彫刻壁画はバーミヤン遺跡と同様に多くが破壊されました。イスラム教は礼拝を重視し、聖像や聖具を持たない文化が多い中東に比較して、アフガン彫刻の工芸や装飾は伝統的であり豊富な気がします。特に、象牙の彫刻や装飾絵画など博物館や公館に残存し、市場のバザールなどで取引されています。しかし2021年からのタリバンの復権により芸術文化の衰退が危惧されています。
また1~2世紀のハッダ遺跡を代表とする粘土や石膏からの彫刻は、ガンダーラ美術と同様にギリシャ系の僧侶たちの目鼻立ちの様相であり当時の時代を映していました。ギリシャのヘレニズム様式とガンダーラ仏教美術との融合であり、ギリシャ人が仏教美術に関わり始めた仏教美術の発祥地ともいわれています(ガンダーラは彫像の起源)。日本にはない、非常に興味深い融合による仏教初期の美術が存在していました。[滞在2006、2007年]
④ 12世紀に建てられたカンボジアのアンコール遺跡群のアンコールワットは、中央祠堂を中心に3重の回廊が囲む構造で、その長い回廊壁面には隙間なく彫刻壁画(レリーフ)が刻まれています。他の遺跡群のアンコールトムやタプローム、バンテアイスレイなどの寺院のレリーフも壮大で素晴らしく、当地域は昔からの工房も多く点在し、互いに競い合って作られていた彫刻壁画ではないかと思われます。大長編叙事詩『マハーバーラタ』を基に描かれたレリーフなど、ヒンズー教やその後の仏教の神話、戦争のレリーフは、ほとんどが何かの伝説を基にして刻まれていました。当時のタイやラオスを併合した輝かしいクメール芸術は、それらの文化を融合し発展させ生き生きした姿で刻まれていました。アンコール遺跡群の発展した融合さと活力、何かの伝説を後世に伝えようとする多数の遺跡群の莫大で大規模な彫刻壁画群は、中国から伝わり真似した日本の凛々しい仏像にない信仰深いものと思われました。[滞在2002~08年]
⑤ タンザニアのマコンデは柱状の黒檀(コクタン)の木工彫刻で、叩くとコンコンと鳴るほど非常に硬い素材です。人や動物、植物、シェタニ(精霊)などの姿を彫刻し、色付けせずに内部の成分で黒色や赤褐色の縞模様で、アフリカ特有の様相があります。両足で一本の黒檀を挟んで、ハンマーでノミを叩いて削ります。硬くてサクサクとは削れず慣れるまで大変でした。アフリカ風のアフリカらしい工芸品といえました。
ティンガティンガ絵画は1960年代にタンザニアで発祥したエナメルペンキで描かれた斬新なポップアートです。アフリカのサバンナの動物や植物など、カラフルな色で自然を力強くアフリカ人の天然の元気さで描いています。風景画や抽象画ではなく、はっきりと対象物を描く明るい写生画です。シリキの下地材を3回程塗るなどして立体感を出します。ここでシリキを塗り分けることでより立体感を出せました。工房村が首都郊外にあり、多く賑わい自作の指導を受ける旅行者もいます。絵画の様に素朴で明るい雰囲気で、何度訪れても居心地が良い工房村でした。今ではもっと立体的になって精緻な動物画や抽象画も出ているかもしれません。[滞在1990~92年]
⑥ 唐時代の長安の宮殿の大明宮は663年から皇帝が政務を行った宮殿です。事業の大規模な発掘調査で発掘された漆喰や塗料で、建物の壁には壁画が描かれていました。これらを基に、唐時代の壁画復元が期待されました。中国史は戦乱の繰り返しですが、古代日本は石造の壁画が少ないのは、地震影で破壊された影響があったのではと推測されました。
中国新疆の交河故城遺跡は、紀元前2世紀に車師国の首都となり、当時の建物廃墟がそのまま残存している珍しい遺跡です。中洲の高台にあり、周囲を30mの断崖に囲まれた自然の要塞にあります。版築工法で作られた多くの寺院や仏塔跡などが残る壮大な仏教都市遺跡です。それぞれの寺院や仏塔には大切な仏像や壁画あったのではと推測され、復元のために滞在する都度に探索しましたが、14世紀からの数々のイスラム侵入の破壊や戦火で、彫刻や壁画は全て消滅してしまったのでした。そのため、ここには文化の融合は見られませんでした[滞在1995~99年]
以上、有難うございました。